仲田の初海外体験記
今日は英語学習記の番外編として初めて海外に行ったときの話をしたいと思います。ウェブサイトの仲田プロフィールに、「アメリカ南部を〜」というくだりがあります。
(ぜひ、ご覧ください!)
ちょっと可笑しげに書いていますが、学生時代からニューオーリンズが好きでした。
実際に訪れる前から、ジャズだけでなくニューオーリンズ界隈の音楽が好きでした。だからニューオーリンズに興味を持ったというのが正確です。
ということで、初めて日本の外に出たのは、関学生だったころの大学4年生の夏休みでした。
目的地は、当然、ニューオーリンズです(ついでにアトランタも)。
お金がないので、格安航空券を探して、当時の価格で8万円弱で関空とニューオーリンズの往復チケットをゲットしました。
自分が買ったチケットは、
関空→ダラス/フォートワース→ニューオーリンズ
というルートです。
もう一つの目的地であるアトランタに行くのも、ニューオーリンズ→ダラス/フォートワース→アトランタということで、なぜかダラスを経由する経路でした。
帰りも、当然、ダラス経由で、アトランタ→ダラス/フォートワース→関空。
10日ほどの旅でしたが、「何回乗るねん!」というくらい飛行機に乗っている時間が長い旅でした。ちなみに、格安航空券の場合、経由地が増えがちで、留学中の一時帰国で、
ミネソタからバスでシカゴ
↓
シカゴ(イリノイ州)
↓
シンシナティ(インディアナ州)
↓
ソルトレイクシティー(ユタ州)
↓
ロサンゼルス(カリフォルニア州)
↓
関空
という意味不明なルートを経験したことがあります。大学生だな〜。今なら絶対にいやです。
話を戻すと、大学4年生の時に、初めて海外に出たわけです。
当然英語もできませんし、アメリカという場所があまりにも未知すぎて、出発の日が近づいてくるにつれて楽しみより、恐怖心が勝っていたのが正直なところです。遠いし。
ビビりながら飛行機に乗って、キャビンのドアが閉まって、動き出したら「もう戻ってこれないんじゃないか?」とさえ思っていました。
こんなマインドで出発しているわけですから、到着した瞬間からホームシックになっていました。ダラスに着いた時は、ニューオーリンズ行きの便に乗り継ぎができるか心配で心がボキボキに折れていましたし、入国審査も英語で話しかけられることが確定しているので恐怖でしかありませんでした。
で、何とかクリアして、ニューオーリンズ便に乗りました。
ダラスからの国内便です。ですので、乗客に日本人はおらず(たぶん)、異国度100%の環境、しかも機内アナウンスは英語のみです。何言っているのか全くわかりませんでした。
ニューオーリンズに到着。遠かった。
到着したのは、現地時間で19時くらいだったと思います。外暗い。
ここから、予約もしていないダウンタウン近くの宿まで、どうやって行くんだ?
それまで馴染んでいた日本風のものがなにもないし、夜だし、空港からダウンタウンまで遠いし、もう日本に帰りたいと思っていました。
そんなことも言っていられないので、勇気を振り絞り、ダウンタウンのホテルへのシャトルバスに乗るべくカウンターの人に声をかけました。なんの説明をされたのか全くわりませんでしたが、前の人について乗り込み、予約もしていないドミトリーの名前が書かれた行先の札をドライバーに渡しました。順番に乗客の宿泊先のホテルで降ろしていくシステムです。完全に場違いのシャトルで、なんかみなさん、すごいちゃんとしたホテルで降りていくわけです。一人降り、二人降り、ついに自分とあと一人、その人も降りて自分だけになりました。不安しかありませんでしたが、何をどうすることもできないので、無言で早く到着することを祈りながら10分ほど。当然ですが、ちゃんと送り届けてくれました。焦りまくっているので、ドライバーさんへのチップとして20ドル札を渡していました。「めっちゃ羽振りの良い客」として扱われたのか、すごく丁寧に安宿の玄関まででっかいバックパックを運んでくれました。高級ホテルに泊まるお客さん以上の対応でした(笑)。
なんとか、ドミトリーに空きもあり、チェックイン。
だれも日本人いない。。。
ということで、疲れ果てベッドに寝転がり、ホームシックで打ちひしがれていました。
日本でしか使えないエアコンのリモコンのような当時の携帯の機械音声
「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」
というメッセージを繰り返し聞いていました。
というのが、初めての海外の初日でした。
あ、これ留学ではなく、「旅行」ですから。
みなさんの初海外の話もぜひ聞かせてください。
ちなみに、この情けない感情は翌日以降払拭され、留学後、何度もニューオーリンズを訪れるようになるのが不思議です。